生活に関する相談と支援

斉藤正さん(60歳代)は、母親を中学生のときに亡くし、中学卒業後は父親の家業を手伝っていたが、兄弟が他に4人いて極貧の生活だった。仕事がたくさんある大阪に、と斉藤さんが30歳になる頃に一家で大阪へ出て来た。

斉藤さんは小学生の時から字の読み書きが苦手で、どうしても字を覚えることができなかった。それでも、高度経済成長の時代には、「仕事は降るようにあった」そうである。建設現場でまじめに働き続けた。しかし、50歳代後半になる頃には斉藤さんが就ける肉体労働の仕事は激減し、加えて腰を痛めるなど身体に不調も出始めて仕事ができなくなってしまった。それまでは建設現場の作業員宿舎を転々とした生活から一転、宿舎から追い出され、住居も仕事も失うことに。兄弟には迷惑はかけられない、とたまたま目にした高架下ではじめた野宿生活が約9年続くこととなった。

野宿生活から“畳”へあがることをサポート

大阪府内には、野宿生活者の一日も早い脱却(居宅や施設での生活へ)を目指して巡回相談事業が行われている。巡回相談の相談員が何年もかけて斉藤さんの野宿地を訪問し、身体がいよいよ弱ってきたことと、この相談員が戸籍のことや保険のことなど親切に調べて教えてくれたことなどがきっかけで、斉藤さんは畳にあがる(野宿生活をやめて、アパートで暮らす)決意をする。そのときに、巡回相談の相談員から「野宿生活から地域生活に移るにあたって、斉藤さんがいろいろと困り、戸惑うこともあるだろうから、コミュニティソーシャルワークとして支援して欲しい」と老人福祉施設のCSWへ相談が入ったことがきっかけで、「生活困窮者レスキュー事業」として野宿生活から今まさに脱却しようとしている高齢者の地域生活支援を行っていくこととなった。

まず、斉藤さんの地域での生活を考えた際に、字の読み書きが出来ないことや不慣れな地域での生活面についてすぐにサポートができるよう、なるべくCSWがいる施設の近くで居宅探しをすることとした。近所で風呂とトイレは共同使用の、昔ながらの集合住宅が見つかったので、大家さんに斉藤さんのこれまでの暮らしぶりなどについても率直に相談したところ、「なんか困ったことあったら、助けるわ」と快く引き受けていただけた。そこで、居宅設定費用と当面の食材費について経済的援助を行った。野宿生活を長年続けていたため、新しい住居で利用できるような家財道具は全くなかったが、ちょうどCSWが勤める福祉施設を退所される方がいらっしゃったので、その方の厚意で小さなタンスやテーブル、テレビ、食器、衣類などを提供していただいた。施設の他の職員にも声を掛け合い、リユース可能な炊飯器や電気ポットも斉藤さんの新生活に役立ててもらうことにした。

その後、斉藤さんにとっては久しぶりとなるスーパーでの買物に同行して、お弁当はじめ当面の食材購入をお手伝いし、そのあとすぐに生活保護の申請のために役所の窓口まで同行して一緒に保護申請の手続きを行った。野宿生活から居宅生活へと移られた方の中には、あまりに急激な環境の変化や多くの場合は一人きりで部屋にぽつんといる不安などから、あるいは生活保護を受給しながら暮らすことへの窮屈さから、居宅生活が長続きせず、再び野宿生活に戻られる方も少なくない。CSWらは相談し、しばらくの間は毎日交代で訪問していくこととした。

そんなある日、「ご飯が変なんです」と斉藤さんから告げられる。炊飯器をみると、保温状態のままで炊きあがることのなかったお米が団子状になっていた。字が読めない斉藤さんには、ボタンの種類の違いがわからなかったのだった。そこで、炊飯器の使い方を説明すると、「温かい白米が食べられること、最高です」と笑顔を見せられた。ホームレス巡回相談員から以前に「何でも支援者側がお膳立てするのではなく、本人に生活の勘を取り戻してもらうことが大事」と聞いていたため、斉藤さんが一番よいと思う生活スタイルを尊重し、どうしても出来ないことや難しいことなどを援助するようにCSWは心がけてサポートを続け、斉藤さんの地域での生活も安定していった。

それから1ヶ月近く経過した頃には、斉藤さんは字が読めないので届いた郵便物を持って施設まで訪ねて来てくれるようになった。CSWがいないときは施設の事務職員がCSWとは違う丁寧な説明で応対し、次第に斉藤さんは事務職員らとも顔見知りとなった。町のなかで出会ったときには「おはよう」「寒くなって来たね」と声を掛け合うような知り合いが徐々に増えていった。そんな折に、CSWから字の練習をもちかけたところ「はい」との返事があり、少しずつ練習を重ねていくことにした。

福祉施設でのボランティア活動への誘い

同じ頃、だんだん施設職員とも顔なじみとなってきたことから、斉藤さんに少しでも生きがいや人と交流する中で楽しみを見いだしてもらえたらと、施設での掃除などのボランティアを斉藤さんに提案すると「任せてください。遊んで毎日暮らしてたらダメです」と目を輝かせた。以降、定期的に施設に来て、ボランティアをしてくれるようになった。

数ヶ月経った年の瀬に、斉藤さんから「お世話になった人に年賀状を書きたい。手伝って欲しい」との依頼があった。CSWらが相談し、芋版を作成し、それに色をつけてはがきに押してもらった。斉藤さんは「人に書いてというのは、かっこ悪かった。字が書けなかったし、結婚もしなかった。字が書けたらこんな人生を送ることはなかった」と長年の想いをポツリポツリと語ってくれた。

支援開始から何年か経過した現在では、斉藤さんだけでなく、同じように野宿生活から居宅生活に移られた方や依存症等の病気を抱えるひとり暮らしの方など、過去に「生活困窮者レスキュー事業」で相談、支援を受けた当事者の方々と施設職員や地域の子ども、専門職有志がゆるやかなグループを作り、年に1〜2回の頻度ではあるが、施設の一室で交流活動を行っている。そこでは、少人数で、子どもと将棋をしたり、健康に関する話や体操をしたり、ちぎり絵の創作活動を行ったりと、自分たちのペースで気の合う仲間とのゆったりとした交流を楽しんでおり、斉藤さんご本人だけでなく、参加しているCSWはじめ専門職等が斉藤さんの人柄に癒され、ほっとできる集い、心の拠りどころとなっている。また、斎藤さんは「同じ集合住宅のおじいさんが調子悪そうやから、相談にのってやってもらえんか」とか「〇〇駅の近くにホームレスの人がいて、2、3日何も食べていないというから、駅前でパンと飲みもん買うてあげたんや。金のないときはうれしいもんやから」と、自然と誰かを助ける、気遣うようになってきている。こうした変化にCSWはじめ周囲の関係者が驚くと同時に学ばせてもらっている。

世帯の状況/事例のキーワード

【世帯の状況】
本人:60歳代/男性/中卒/野宿生活を9年/字が書けない

【キーワード】
ホームレス/字の読み書き/ボランティア/心の拠りどころ

主な支援内容

□ 物件探しや大家さんへの交渉
□ リユース可能な生活物品(電化製品、食器など)の提供の呼びかけと、物品支援
□ 家庭訪問・相談による生活サポート(買物同行、料理方法、字の読み書きなど)
□ 生活保護への同行相談、医療受診等の付き添い
□ 施設でのボランティア活動への誘い
□ 心の拠りどころとなる集いの場づくり
□ 経済的援助(食材支援、居宅設定費用)



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